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2011年3月31日、盛岡へ

31日。

盛岡へ。明日4月1日より、桜山地区にあるブラウニーのおいしい「OOD」で行われるワーイレコーズフェア。
ここで「ゴミハコミュニケイション!」と「North UP 1st」のDVDが販売されます。
そんなわけでワーイレコーズのOsoluckさんにDVDを渡しに行きました。

今年度はこんな形で終わってしまいました。大きな被害の無かった地域でも、ほとんどの東北人にとって、行動予定は白紙か、大きく変更を余儀なくされたと思います。その意味ではいろいろなものを失ったけど、いずれにせよ朝はやってくる。

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この2つのDVD、4月中はOODさんで販売して頂いています。
http://blog.livedoor.jp/ood/

おいしいブラウニーと一緒に、ぜひどうぞ!
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テーマ : 日本映画
ジャンル : 映画

2011年3月30日、かつて、ここに家があった

30日。

かつて、ここに家があった。

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私の祖父の家がここにあり、私は子供の頃夏休み、冬休みになると家族でここを訪れた。その後祖父は亡くなり、私の父が老後に住むための家となった。父はつい最近その家を手直しし、化粧された家は新しい主を待つばかりだった。
ここに家があった、それはほんの少しだけ昔の話だ。


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山の階段の近く、写真左下に見えるのが私の父である。
この山の上には神社がある。諏訪神社という、まるでありふれた名前の神社で、私の親戚が神主をしていた。私は夏休みにここに来ると、この上まで上ってお賽銭を入れるのが最初の仕事だった。この山が今、非常に小さく見えるのは、私が大きくなったからではない。実際にその裾野を津波に削り取られたのだ。


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実際に歩いてみると、テレビで見ているよりずっと広い範囲に津波が上っていることがわかる。この海岸線はリアス式海岸といって、細く入り組んだ場所が多い。そこでは山の裏側まで津波が駆け上ってきたのだ。


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不思議なことに-いや不思議では全くないのだ、なぜならこういう土地が選ばれて然るべきだったのだから-墓地は無傷に近かった。ここだけでなく、同じく海岸線沿いにある数百メートル離れた向かい側の墓地も無傷だった(かつて家々によって隠されていた場所が、今はすっきりと見渡すことが出来る)。これほどの想定外の規模の災害でも、墓地は無傷だということは、つまり防潮堤のなかった頃の先人たちは想定していたということなのだろう。ある種のモノがあり続ける数百年という時間は、私にそういうことを教えてくれる。


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川は大きく増水しているように見えた。私は水門が破壊されたことが何か関係あるのだと思ったが、近所の人の話から地盤沈下によるものだということがわかった。日本3大松原の一つであった高田松原の海岸線は現在、実に1キロ近くも後退している。砂浜も松もない。


震災直後、陸前高田市を訪れたときは入れない地域が多くてよくわからなかったが、車があちこち通れるようになって、思ったよりずっと広範囲で町がなくなったことを知った。川を伝って山の裏側の平地までが全て飲み込まれているのを見ると、なぜあのとき帰り道、津波警報が出るたび山間部に住む人までが山の上に避難してきていたのか理解できる。なんのことはない、当たり前のことだったのだ。


避難所はおよそ落ち着いていた。私たちの親族や父の知人はあちこちの小規模な避難所に散らばっていたり、あるいは自宅にいたりしたが、全国の心ある方々から送られてきた支援物資は、ボランティアの人たちあるいは被災者自身の手によって各地に配達され、かなりの部分行き渡り始めているようだった。私たちの持っていった物資はむしろ必要とされて受け取ってもらえるところがあってこちらのほうが助かった、という按配だった。
ちなみに、衣類、毛布などは、被災者1人1人の許されたスペースが少ない現在、仮に欲しくてもこれ以上はなかなか持てないのだという。仮設住宅などに移ればまた状況が変わる可能性はあるが。
陸前高田は全国的に有名になってしまったので、物量には恵まれたほうなのかもしれない。ほかの本当に小さな町がどうなのかは、わからない。また食料などはむしろ今後、一定量の長期的な支援が必要になるのだろう。

私たちが避難所の一つの月山神社に行ったときには、ちょうどテレビが設置されていて、多くの関心を受けていた。避難所間の連絡網は、アナログながらおよそ機能しているようだった。様々な形で情報が入り始め、これからの生活をどうするのか、あるいはこの町が本当に復興するのか、そういった話題が多くなっていた。

私たちがこの日陸前高田を訪れた理由の一つは、仕事上で水稲育苗用の肥料を届けるためであった。昨年と同じ量の注文を受けて驚いたが、そういった人たちの揺ぎ無い活動は、きっとこの地域を引っ張っていくだろう。家がなくなった人も、米を作ると言っていた。会社がなくなった人も、イモを作ると言っていた。春が近いのだ。

河野

テーマ : ひとりごとのようなもの
ジャンル : 日記

2011年3月29日、靴下

29日。

会社に取引先の方から大量の靴下が届く。
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取引先はアパレル関係ではないのだが、なぜか靴下を集めるのが得意で、前にも頂いたことがあった。支援物資は続々運ばれているようだけど、たぶん、小さな避難所やコミュニティではまだまだいろいろ必要なところがあるだろう。明日沿岸に商品の配達があるのでついでに運ぶことになった。


胆沢で仕事があり、終了後は久々の東北自動車道で紫波に戻った。帰りにセブンイレブンに寄った。
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スーパーにはモノが入ってきているが、コンビニは意外と難しいのか。おにぎりはあったけど。

夜中、近所で火災があった。
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ジャンル : 日記

2011年3月28日、ごめんね赤ちゃん、キミ達の未来の安全を奪っているのは紛れもないキミのお父さんだった

28日。

私の仕事上重要な人物が福島にいます。その人は第一原発から約60km離れたところに住んでいて、震災後数日して電話をしたときには、60km離れてるから大丈夫、と言っていました。しかし数日後には、西に数十キロ離れた町に一時避難していた。今は自分の町に戻っています。

その人から電話が来て、電話の内容は、地域の希望者を何名か、受け入れてくれそうな町があるかというものでした。つまり今は、他県への移住を検討している。

こうやって文章を書いている最中に、原発周辺の土壌からプルトニウムが検出されたというニュースが入ってきました。半減期2万4千年のプルトニウムです。

たった50年かそこらで大事故が3回も4回も起きているのに、半減期2万4千年とか何をどうすればいいのでしょうね。もう少し前からいろいろと勉強しておくべきでした。私は少なくとも東海村のJCOの事故後すぐに一度東海村に行っているし、原発から海岸に抜ける道を歩いていたときは怖いと思ったし、原発の裏側で冷却水?(多分放射性物質は含まれない)が海水にがんがん流れていることと、そのすぐ近くでおじいさんが釣りをしていることの私から見て非日常的なアンバランスに驚きもしたし、原発を見学してそのときに使用済み核燃料の保管について多少なりとも疑問には思った。でも私は、1年もたたずに忘れてしまった。

そのときに、私に子供がいたら、考え方は違ったかもしれない。私たちの世代で処理できない生命を強く脅かす物質を、大量にしかも何万年にもわたって安全に引き継いでいってもらおうなどという、どう考えても成功しない行為を、きっと子供がいたら強く戒めることが出来たと思うのです。でも当時私は自分のことだけを考えていれば十分だった。

今は子供がいるので、よくわかる。
ごめんね赤ちゃん(うちの子は赤ちゃんと呼ばれている)、キミ達の未来の安全を奪っているのは紛れもないキミのお父さんだった。


なぜ警告を続けるのか~京大原子炉実験所・”異端”の研究者たち~ 著作製作 毎日放送
これまでずっと原発反対してきた方々を追ったもの。きっと今日まで時には変人扱いされながらやってきたのだと思います。

河野

テーマ : ひとりごとのようなもの
ジャンル : 日記

2011年3月27日、小さなこと

27日。

近所の方がガソリン手に入って陸前高田に物資を届ける、何かあれば一緒に持って行ってくれるというので、お願いした。Sさんありがとうございます!無事届いたかな・・・。

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ついでに、公民館で被災者受け入れ準備の下準備を手伝う。こういうときは小さいことでも何でもいいから何かしないと気がすまないでしょう・・・。それにしても、これまでずっとボランティアとか人助けだとか全く興味を持ってこなかったから、こういうときに全然役に立つような発想が浮かばないな。自分の結果だから仕方ないけど・・・。

ところで、マスクをしたほうがいいかなとまた、思っている。こんな時に風邪やインフルエンザは大迷惑になりそうだし、元々花粉症気味であるし、放射線から身を守るという点でも(精神衛生上)良いかなと。

テーマ : ひとりごとのようなもの
ジャンル : 日記

2011年3月26日、ガソリンがあれば、走り出せる

26日。

昨日給料日だったので、義捐金を入れる。こういうことは継続が大切だと思うので、毎月行うことに決めた。金額はたいしたこと無いのだけれど。

その昔、新宿の電気街で、雲仙普賢岳の被災者のための街頭募金を見て、何年も前のことまだやってんだ、なんて軽く通り過ぎた。今ならばわかる、きっとあのときこそ、必要だったのだ。復興なんてそう簡単にするわけが無い。あの人たちは今はどうしているのだろう?

先日のDVD、「ゴミハコミュニケイション!」。
普通の光沢紙では厚過ぎるので、DVDのジャケットに使えそうな光沢薄手の用紙を探しに盛岡に行く。
雪がちらほら。国道4号はずいぶん平時に近付いてきた。

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まだ時折、雪が舞う。そういえば昨年の今頃も、こういう雪の舞うシーンを撮影していたな。

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盛岡の電気店。まだ店内は薄暗いが、かなりの人出だった。そういえば、普通なら今は春の新生活準備の時期だ。

買い物を早々に済ませて、急いで紫波に戻る。ガソリンを入れるためだ。

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実は、震災後初めて、ガソリンが満タンになった。最近は自転車や徒歩の移動が面白いと思ってはいるけど、岩手は広いので縦横無尽に移動するにはやはり車が動くにこしたことはない。


その後いくつかのスーパーで買い物をする。スーパーによってずいぶんと得意不得意の商品が違うようで、はしごせざるを得なかったのだ。ナックスは納豆が得意で毎回少量だが置いている。マックスバリュは納豆はないが、牛乳が得意なようだ。ユニバースは牛乳はダメだがパンが得意みたい。

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ヨーグルトはどこも品切れだった。

夜、知っている方から、明日沿岸方面に支援物資を届けに行くので、何かあればついでに持って行ってくれるという連絡があった。手元に、以前仕事の取引先(奈良県の企業)の方がたくさん送ってくれた新品の靴下で、サイズの合わないものが結構あるので、とりあえずそれをお願いすることにした。

その人も、これまでずっと待っていたのだが、ガソリンが満タンに入ったらしい。

ガソリンがあれば、走り出せるのだ。

テーマ : ひとりごとのようなもの
ジャンル : 日記

2011年3月25日、すごいスピードで昨日が遠ざかって行く

25日。

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仕事中、自転車で自分の家の近くを通る。見慣れた河川敷だが、久しぶりに人の元気な姿を見た。春が近付いているということ。


仕事上はまだまだ物流の問題が解決されておらず。四国からはコンテナが岩手に送れないとか地域によって対応が異なる。それでも刻一刻と状況が変わる。昨日は営業所留めでしか受け付けてなかった運送会社が今日はもう個別に配達している。昨日がまるで1ヶ月も前みたいに、すごいスピードで遠ざかっていく。


原発の件は状況が悪化しているように見える。現場作業で長期に渡りどれほどの犠牲が出るのか、そしてそれに対し世論はどう変化するのか。残念ながら私の予想ではそれは美しい形をしておらず、その予想は外れたほうがよい類のものだ。

福島に住む仕事の取引先の方の話を聞くと、農業の現場は誰にも明確な指針が示せずにおり、個々の判断にゆだねる形になっているようだ。作っても売れるのか、売れなかったらどうなるのか、そもそもそこに住めるのか。職場で誰かが言う、「日本は狭いね、狭すぎて原発に向かない」。確かにそうだ、狭いので逃げ場もあまりないし、真ん中でぶっつりと寸断されてしまう。

少し話はそれるが、土地が余っている地域の畑作では、土壌消毒など頻繁に行いながら、それでもうまく育たなくなると畑を変えて、何年か休ませる。それを繰り返していくことが出来るが、一人当たりの耕作面積が狭い地域では、土作りをしっかりして連作出来る状態で無いと続けることが出来ない。私は、仕事でそういう土作りに関わっているので、ふとそれを思い出した。


明日、ガソリンを入れられることになったので、久々に車で帰宅した。国道4号もちょっと前に比べて以前の雰囲気を取り戻したような気がする。

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2011年3月24日、ボクたちは安全なところにいて、犠牲が出ることを知りながら、ただ文句を言っているだけ

24日。

明け方、ようやくDVDジャケットも完成。エンコードも終わった。盤面印刷も出社直前に終わった。ヤッシーには会えないけど、これでなんとか気持ちが伝われば。

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Osoluckさんが自転車で盛岡から紫波までDVDを受け取りに来る。何しろガソリンが無いのは東日本共通。でも思ったより遠かったらしい。そうでしょう。

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さすがゴミハコ、青とオレンジ。


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近所のスーパーではアホみたいに同じパンが大量入荷。今、まともに動いているのは花巻のオリオンパンだけなのかな?ちなみにオリオンパンのパンは、コモパンみたいに賞味期限が非常に長いので、災害時はとても役に立つ。ついでに言うと、オリオンパンはこのスーパーでは高いけど、日詰駅前の小さい産直みたいな店では、いつも特価で販売されている。

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やっぱりお父さんが子供を連れている風景をよく見かける。つかの間かもしれないけど、大切な時間。

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原発の方は、いよいよ復旧作業にあたっていた方々が被曝し始めたらしい。今回は長靴を履いていなかったのが理由だそうだが、様々な準備をしたとしても、必ず何か不測の事態が起きるだろう。現場作業とはそういうものだと思う。

私は少なくとも、原発の復旧作業が始まった時点で、相当数の犠牲が出ると思っていた。思っていて、それでも作業をして欲しいと、自分は安全な位置から、ただ願っているのだ。作業をされている方々、本当に素晴らしいです(それは確かだ)、犠牲になるかもしれませんが、頑張ってください。そう言っているようなものなのだ。その意味では、政府も、東電も、私も、何が違うというのだろう?

これからも長期的に見れば、かなりの犠牲が出るだろう。これは、危険をはるかに通り越した作業なのだから。

再度言う、私は、今、安全な位置にいて、犠牲が出ることを予期しつつも、卑怯にも自分は何もせずに、原発の復旧作業が進行することを願っているのだ。

もちろん何事も無いに越したことは無い。だが、何事も無くはすまないだろうと思っている。そうやってのうのうと生きている。

津波による被害の大きい被災地に対しても、ほとんど同じだ。この間にも、寒さで凍えている人がいる。あるいは、パンもおにぎりも食べられずに餓死している人もいるかもしれない。そして目の前のスーパーに大量に陳列されているパンを、私は買って、食べるだけなのだ。

圧倒的に動かしがたい、自分が自分のことしか考えていないという事実。

こういったことを、一生自覚して生きなければならないと思う。

だからこそ、原発の復旧で、命がけで現場作業されている方に感謝。
津波の被災地で、不眠不休で支援をされている方に感謝。
どれだけ感謝してもしきるということは無い。


夜、「ゴミハコミュニケイション!」のホームページを作ったりいろいろ。
作業そのものは早いのだ。ただ、作業に取り掛かるのが致命的に遅いだけで。
http://gomihacommunication.web.fc2.com/index.html

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2011年3月23日

23日。
職場では、物流の混乱がかなり響いてきている。大きな被害を受けていない地域では、人のココロは徐々に復活してきているのだが、何しろモノが動かせない。注文を受けてもどうしようもない。一番の稼ぎ時に、一番モノが動かせないのは本当に厳しい。

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夜の明かりが前に比べ普通に近付いてきた。食パンが売っていたので買ってしまった。

原発のほうは着々と放射能漏れが進んでおり、今度は海も汚染され始めた。状況が状況だけに、「それはそうでしょう」みたいな雰囲気。同時に、頻繁に放送されているおかげで、多くの人が煽られなくなりつつあるようで(言いか悪いかは別だが)、あえて福島産を食べよう!とか、茨城産を食べよう!とか聞こえてくるようになった。政府が悪いとか東電が悪いとかいろいろ言われてるが、もうこうなってしまった以上は、自分たちがどう対処するかというだけなので、開き直って皿食らわば毒までくらいの感じ。

被災地が荒れ始めているという声がかなり多くなってきた。泥棒も頻繁に出没するらしい。長い戦いだ。

必死で作業を進めたおかげで、「ゴミハコミュニケイション!」はなんとか明日までにDVDが出来そうな気配になる。マジで睡眠が少ない。このままでは睡眠が少ないせいで命を落とすのではないかと思える。ゴミハコOsoluckさんにはDVDそのものは出来るが、パッケージまでは出来ないかも、と伝えておく。しかしやはりなんとかして、完成したものを渡したい。徹夜もやむなし。

テレビを見る暇が全くなくなってしまった。

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2011年3月22日

22日。

近所のガソリンスタンドに、タンクローリーみたいなのが来ていた。
聞いてみると、まだ緊急車両用で、余ったら一般に販売できる程度、とのこと。
でも、そろそろガソリンが動いているのだろうか。

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近所のスーパーではパンが入荷していた。

さてところで。「ゴミハコミュニケイション!」イベントは来月だからと高をくくっていたら、なんと24日にヤッシーが帰国してしまうので、できればその前にDVDを渡したいとのメールがっ・・・!マジで?

夜、必死に作業開始。必死に作業を開始すると進行は驚くほど早いのだが、問題は必死に作業を開始し始めるまでが驚くほど遅いことだ。夏休みの宿題を最終日の夕方から始めるタイプだったからある意味仕方ないが。

河野

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2011年3月21日

21日。

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今日で連休も終わり。いつの間にか春の気配。

スーパーに野菜を買いに行く。

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こちらのスーパーでもこんな案内が出ていた。致し方ない処置なのだろうと思う。しかしこうなってくるとあえて福島産を探してみたくなる。なかなか無いからこうなると意地だ。

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さすがにホウレンソウは無いが、こんなのが見つかった。うるい。よく見ると岩手産と福島産が混じっていたが、ここはあえて福島でしょう(岩手産の方がおいしそうだったけど)。しかし料理法がわからない。まあ味噌汁かなんかにすればいいのだろう。

それにしても、このスーパーは品揃えが結構よくて、野菜はもちろんだけど魚もある。無いのは納豆くらい。

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うるいは岩手産のホウレンソウと共に、味噌汁にした。うまいじゃないか。

ガンバロウ。

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2011年3月20日

20日。
今日は1日、アパートにいた。

無力感もある。
無力というより何もしていないからと言うのもある。
生きるというのは死ぬまでの夢みたいだ。

ゴミハコさんからDVDを販売したい旨連絡来ているので、地震発生以来手をつけていなかったが再起動。しなきゃ。

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2011年3月19日

19日。
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アパート前の桜。今年もきれいな花が咲きますように!

何事も無ければ、本当はワーイレコーズのイベントに参加していたはずだった。
風が強い、春が近いのだろうか。
アパートの管理人さんが枝の剪定をしている。
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この方は地震があっても停電があっても水が止まっても、毎日何も変わらない。
アパートの掃除をし、犬の散歩をし、庭の栗の木の枝の剪定をし・・・。
泰然自若という言葉がピッタリ。
全く頼もしい限りである。

午後、雨が強くなってきた。
天候が悪くなると、津波の方の被災者の方々が気になる。
傾いた家屋に戻っている人もいるという。
雨、風、地震に耐えられるのだろうか。

燃料が岩手に入るという情報が複数届いている。物流が再開する日も近い。
陸前高田市では今日から仮設住宅の建設が始まったらしい。市長が「目に見えることが始まったことの意義は大きい」旨インタビューで答えていた。これは本当にそうだ。人間不思議なもので、実際に結果が見えてくると、俄然気持ちが前向きになる。

原発の件も昨日の放水の至近距離から撮影された映像が公開され、しっかりと水が3号機に入って行く様子を見て、力強く感じた。
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あとの問題はこの後の、本当の設備の復活。
しかし、枝野官房長官の会見見ていたが、マスコミの質問がひどすぎる。
同じことを何度も聞く、問題解決より責任追及ばかり考える、無駄に煽ろうとする、全く彼らは邪魔をしに行っているとしか思えない。安全な場所で記者会見しか取材しないから今どれほど日本がピンチなのか想像できないのだろうか?
一方で、実際に被災地に派遣されているマスコミが、被災地で何が必要か、何とか現地の役に立とうと懸命にインタビューして情報収集している姿とあまりに対照的だ。

一部地域農産物で暫定基準以上の放射能が検出されたという。「風評被害」と「実際の健康被害」をきっちりと区別するために、モニタリングは必要だ。その上で、これ以上被害を広めないこと、また被害が出てしまった地域に補償していくこと、また「風評被害」が出ないよう正しい知識を身につけてもらって問題ないものは無闇に怖がらず食べていくこと、そういうことを一つ一つやっていけばいいのだと思う。

要するにだ。検査がしっかりしてくればこうなる。
出荷されているものは、食べても大丈夫。
とても簡単じゃないか。


看護師をやっていた関西在住の知人から連絡が来る。
曰く、職場でも被爆しまくっていたので基準を超えた程度の野菜など平気で食べられるとのこと。
元々あっけらかんとした性格だったが相変わらずあっけらかんとしていた。

夜。関東地方で比較的大きな余震。
原発の対応に当たっている部隊は大丈夫だろうか?

何人かの知人とメールのやり取り。
都内の人たちも皆大変な思いをしている。
前に進もう。

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2011年3月18日

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18日。今日も朝は寒い。こんなんで避難所は大丈夫なんだろうか?
私は大昔、この時期に野宿を重ねたことがあって、そのときはテントとシュラフがあっても寒さでほとんど眠れなかった。そのときは気温の上がる日中に眠っていた。避難所も多少暖かくなる日中眠っているのかもしれない。

避難所によっては、被災した高校生などが自らボランティアとしても活躍しているらしい。きっと今回の体験が、被災地の若者を強くする。
一方で、釜石から逃げてきた人によれば、避難所では争い事も始まっているとのこと。
誰も、子供たちの前でみっともない姿は見せたくないに違いない。それでも争いごとが始まるのは、それほど逼迫しているということか。
マスメディアが入っている避難所ではそういうことは少ない(報道されるとわかると理性が働きやすくなる)から、ぜひマスメディアにはまだ行っていない避難所も巡回して欲しいと思う。一部、人の不幸を食い物にしている、過剰取材ではないか、との批判もあるが、私が行って来たときも、むしろ向こうからどんどん語りかけられた。つまり、あまりに大きな事件を、1人抱え込んでいられる人の方がむしろ少ないのではないか。誰かに語ることによって癒される、それは自然なことだと思う。語ることにより、自分の気持ちの整理もつき、やるべきこと、あるべき姿も見えてくるのではないだろうか。そして語ることは、決意表明ともなる。
私はここ1週間で、この20年分以上の時間、テレビを見た。極個人的な感想を率直に言えば、初めて、テレビが役に立っていると思った。

陸前高田では明日より仮設住宅の建設が始まるそうだ。素晴らしい実行力。

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原発の件は自衛隊、次いで東京消防庁が今度は特殊な消防車で放水するらしい。被爆するとかしないとかあまり強調されなくなったのは、そんなこといってたら何も出来ないジャン、という現場の決意だろうか。状況は大きく変わっていないような気がするが、現場の人たちが力強く動き始めたことによって、事態が好転しそうな気がしてくる。自衛隊の方の話は、率直で潔い。わかることはわかる、わからないことはわからない、いずれにせよやるべきことはやる。効果が大きいか小さいかよりも、とにかくやるかやらないか、なのだと思う。
そういえばラジオで聞きなれた渋い声の、水野解説委員の顔を、昨日テレビで初めて見た。まさかあんなに若い方とは思わなかった。多分、地震の起きた11日にラジオで説明していたのは、この人のような気がする。

ところで、大地震後、街中で家族連れが子供の手を引き散歩や買い物などをしている光景が増えた。変な話だが、子供たちは楽しそうにも見える。ガソリンが無いので仕事が休みになっている人が多い上、徒歩で出かける家族が増えたのだろう。恐らくこちらでは買い物といっても家までの距離が長いので、お父さんは荷物持ち係に任命されていると思われる。道端でも近所の人同士が話をする機会が増えた気がする。(災害は別として)たまにこうやって大勢が休みになること自体は、いいことなんじゃないだろうか。
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近所のスーパー。
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あるのは、野菜と牛乳。毎日採れるものだから、あるのだろう。無いのは、魚、納豆、パン、冷凍食品。魚が無いのは沿岸部が壊滅したから。納豆とパンが無いのは工場が動かないから。冷凍食品が無いのは、多分買いだめされたからかな。

父と母がガソリンを何とか手に入れ、陸前高田の残った親戚宅に避難している十数名に、食料などの物資を届けに向かった。陸前高田は2人の故郷であり、つい最近元・祖父の家をリフォームして、老後はそこで暮らそうとしていた矢先の今回の大震災だった。震災後初めて陸前高田に行く。もうさんざんテレビで見ているので、驚きはしないのだろうし、気丈にはしているものの、実際見たら心の中は相当悲しいのだろうな。

帰り道。街は確かにいつもに比べれば圧倒的に暗い。
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内陸部は電気も来ているし、計画停電の対象にもなってないけど、みんな節電してる。燃料も無駄にしていない。今ここにいてたいしたことの出来ない私たちは、被災地に物資が送られることを望んでいる。

河野

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2011年3月17日

17日。

ブログを書いていたら、日付が変わって明け方近く、ニュースがラジオから流れてきた。福島で避難していた人たちが14人も亡くなったという。いずれも高齢で入院していて、必要な手当てを受けられないままだったらしい。このままでは生きられる人が生きられなくなってしまう。

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全く、きれいな朝だ。

自転車で出社、雪の朝。思ったよりは滑らない、走れる。しかしこの寒さ。避難所はどうなってしまうんだろうか。あるいは今でも外部と接触できず孤立し、高齢者のみで非難しているような方々は。

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途中でまたガソリンを求めての長蛇の列。そして信号を利用した割り込みのようなものが発生していた。いよいよ人のモラルが怪しい。

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届いていたFAX。

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会社でも何しろ物が動かず、メーカーはあちこち休みで、あまり仕事もないので、テレビ(朝日系?)をつけて見ていた。原子炉格納容器の設計者(各パートごとに専門の人がいるらしい、この方は格納容器の設計者)、後藤政志さんが解説をしていた。今このタイミングで設計者として出てくるのは相当な勇気がいるのだと思うけれど、非常にわかりやすく潔いもので、技術者としての強い志を感じた。そして、仮に色々うまくいっても、長きに渡りミスの許されない危険な状態だと言うことがはっきりとわかった。

素人の私の理解では、
1:中枢の核分裂反応を封じ込める格納容器はいくつかの「万が一」を想定して作っていたが、今回の被害でそれらは全て突破された。現在格納容器は大きな負荷で壊れかかっている。燃料棒は損傷している。冷やさないと内部からの圧力で格納容器が本当に壊れる(核爆発は無い。しかし放射能が長期にわたって飛散する)。
2:使用済み燃料を冷やすプールは、元々あまり「万が一」は想定されていない。使用済み燃料は3年程度は冷やす必要があるが、今問題になっているプールにはまだ半年しか冷やしていないものが入っている。水がなくなると熱で溶け出して、再臨界という状態になり、強い放射能が出る(こちらも核爆発は無い)。現在3号機と4号機はこのプールの水がかなり減っている。こちらからは現状、危険な放射線量が観測されている。

1、2いずれにせよ、悪化すれば近づけなくなる。すると、修復も出来ない。従って、今は3号機、4号機の放射線量を下げる必要がある。
今のところ、スリーマイルよりはずっと危険な状態なのはわかる(スリーマイルは、水を入れて収まった)。チェルノブイリとの差は、仕組みが違うためよくわからない。
おそらく、今回ほど悪条件が揃わなければ、スリーマイルと同等で終わったはず、だったのだろうが。大きな違いは大規模な自然災害で、最初からあちこちが故障・破損している点だ。一度にあっちもこっちもでは追いつかない。準備をしようにもそのためのインフラがおかしくなっている。その上水を入れるにも容器が壊れていれば・・・。そして後手に回れば水素爆発、ますます給水困難、放射能が流れ近づけなくなり、ますます・・・、そんな悪循環。
もし全てがうまくいっても、多分今やっていることをノーミスで何年も続けなければならない(使用済み燃料が冷えるまでに何年もかかるから)。

一縷の望みとしては電源が確保できて冷却装置が作動すればかなり変わってくるだろう。それはやってみなければわからないことだが。

・・・悪夢より、もっと厳しい現実。ここまで厳しい状態は夢でも見たことが無いよ。どれほどの想像力があれば現実に追い付けるんだい?思わず隣の人に八つ当たり。冷たい言葉を吐きかけてしまう。

全てがペシミスティックな感情で満たされそうになったとき、たまに流れてくる、岩手県沿岸部の被災者の方々の、生きていた知人を発見した喜びが、逆に私を癒してくれた。いけないいけない、全く、こんな極寒の中で避難中の被災者の方々に、こちらのほうが励まされてどうする。

原発の件は自衛隊も、警視庁も、東電も、政治家も、みんながんばってる。避難所では子供も、老人も、お母さんも、みんながんばってる。

とにかく目の前のことはちゃんとやろう。配達に行くが近所なので、歩いていくことにした(荷物が重く自転車は無理)。ガソリンを無意味に使いたくない。

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取引先の方も自転車でお客さんのところへ行っていた。

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やや遅い昼食を近所のスーパーで物色。パン、少しだけ売ってる。

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お客さんも減ったなあ。インスタント系の買いだめが終わってしまったのかな。岩手はやはり田舎です。

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弁当もあるのだ。久々に、弁当にした。

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戻って、仕事をし、またテレビを見る。3号機と4号機が痛々しすぎる。

会社でもようやく、事の重大さが認識されてきた気がする。数日前までの、しばらくすれば元に戻るべ、という雰囲気はなくなった。部長は電車通勤に切り替えたし、誰も無駄に暖房を点けなくなったし、情報に敏感になった。

夜、高校時代からの友人に電話してみる。無事だった。昨日まで宮古の病院に応援に行っていたらしい。沿岸部の悲惨な状況に、打ちひしがれていた。同時に、やはり私たちの世代が、支えにならなくてはとの共通の認識を確認する。

しかしそうは言っても、正直、今日は原発の状況が結構わかって、あまりにも悲しく、人と話したい。ふだん、理由が無い限り人と会わない私にしては、こういうのは本当に珍しいことだ。埼玉の家内に電話した。こちらに来たいというが、しばらくは・・・しばらく、というよりは長いだろうが・・・無理だろうな。

河野

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2011年3月16日

16日。この日ももちろん自転車で職場へ。

昨日の夜から急に原発関連のニュースが少なくなった。かえって不安だなあ。昨日の福島の仕事仲間は、とりあえず福島県内の西端のほうに移ったらしい。私には放射能・原発についての正確な知識は無いので、少し勉強しなければ。

朝、またgoogleの人探しで調べると、何人かの親戚が生きていることがわかる。しかし、しばらくして電話が来て、亡くなった人もいることを知る。山に登った人は助かり、避難場所に指定されていた気仙小学校に行った人が亡くなったらしい。誰も想定できなかっただろう。

仕事上は燃料が問題だったのだが、部長がお客さんから軽油を少し譲ってもらえるらしい。私のほうも、お客さんから少し軽油を譲ってもらうことになった。これでもう少し、トラックが走るぞ。

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残念ながら寒くなってしまって、雪です。ただでさえ燃料も灯油も無いのに・・・。
こんな寒い中で、家をなくした被災者の方々は、いったいどうしているんだろうか。体力が弱っているところで、食料も少なく、毛布も少なく、真冬の寒さでは・・・。

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途中のスタンドは緊急車両用か、売り切れかいずれかです。

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遠野市街地に入ると、長蛇の列が出来ていました。あまりに列が長く、しかも先は曲がっていて、もうどこのスタンドにつながっているのかわかりません。もうどうしようもなくガソリン不足です。

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おそらく釜石方面の救助だと思います、遠野に拠点があるのかたくさん見かけました。

とりあえず、お客さんへの配達を終えました。軽油を少し譲ってもらって、本当に助かった。これでもう少し仕事が出来る。放射能の問題がなければだけど・・・。お客さんの方は、軽油は少々あるものの、ガソリンの方が全く無いそうです。釜石で津波の被害を受けた親戚の方が家に来ていました。このあと、1階が浸水している釜石まで、その方は帰るのだそうです。やはり自宅がよいのでしょうね。
爪痕というには大きすぎる、全てが悲惨すぎる。これからが長すぎる。

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遠野の道の駅、風の丘です。いつもなら車と人でごった返す人気スポット。

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でも、中は寂しい限りです。ここだけじゃないのですが、昨日で買出しはたいてい終わったみたいで、今日はどこも比較的空いています。

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食堂はやってなかった。そばおいしいのですが。それどころじゃないか。

会社に戻ると、原発がますます深刻な状況に。
仙台でテレビの仕事をしている知人から連絡が入る。とりあえず無事で安堵。しかし、仙台のほうが物不足は深刻らしい。そして、すでに放送局によっては、福島県内立ち入り禁止となっているところもあるという。
燃料は来週辺りから供給されるらしいが、運送会社は福島に行ってくれるだろうか?すでに注文を受けているのだが。ちょっと困って、福島のお客さんに電話をする。怒っている。そりゃそうだろう。怒られているというより、何か悲しみをぶつけられている感じに近い。悲鳴を聞くようだ。対応を検討して再度電話する旨伝える。こちらも出来るだけの努力をしなければ。再度電話すると、向こうもやや落ち着いたらしく、近況を話し始める。内陸でも向こうは被害が大きく、ようやく電話がつながったらしい。しかし水道はまだだという。
今、福島は非常に深刻な状況だ。なんとか出来ないのだろうか。なんとかしたい。何か。
他地域では少しずつ、支援に向け、人は動いている。だが福島は、食料や衣料品など必要なものを積んだトラックが帰ってしまったという。知事がこの状況を打開してくれるよう政府に要請したそうだ。どうすればいいのだろうか?

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自転車で帰る。近所のスーパーも薄暗く商品も少なく、人も少なく。

原発の関係で、埼玉の家内と赤ちゃんに、西のほうに逃げてはと提案する。赤ちゃんだといろいろ影響がある気がして。家内の方は、自分が埼玉にいて、被災者の人たちに何も出来ていないことを、すごく責めている。でも、岩手にいたって今はまだ、たいしたことは出来ない。

順番が前後するが、この日は朝から、本当に久しぶりに、東京にいたときの初期の映画仲間といろいろコンタクトをとった。全員、陸前高田で撮影をした仲間だ。あの街は無くなってしまった。合宿した私の祖父の家ももう無い。だが、みんな無事で、元気そうで、少し気分が晴れた。

広島だって今や100万都市なんだ。これくらいじゃ、東北だって、負けられない。
放射能の除染について少し調べる。

夜、埼玉にいる家内に作り方を聞き、味噌汁を作った。結構、うまく出来た。

河野

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2011年3月15日

15日。今日から私は私服、自転車で通勤です。またいよいよ原発が怪しくなってきて、埼玉にいる家内からマスクをしろとメールが来たので、帽子とマスクをして出かけました。岩手は広いため、原発とはかなり離れてるので大丈夫だと思うのですが、念のため。
職場ではいよいよガソリン不足が深刻な感じになってきました。かといって、並んでみても行列の後ろだと途中でなくなってしまう場合が多く、気付いた時点では並んでも遅い。燃料が切れれば配達が出来なくなります。運送会社も昨日までは県内や秋田行きなど動くといっていたのに、もう動かないという。明日は、私は遠野に配達があるのです。困った。
職場ではあまり原発の話題は深刻には受け止められていない、しかし原発から160km離れた宮城県沖で米軍空母が放射能を検出している以上、こちらにも少々は、影響があると考えるのが自然ではないかと思う。
昨日、福島の仕事仲間に、場合によっては岩手に来たらと話したが、そのときは60kmも離れているから平気だと言っていたのだが、今日の夕方、電話が来て、場合によっては岩手で受け入れてくれるかと言う。子供がいるのでいろいろ気になるのだろう。いい、大丈夫ですよと答える。刻々と状況が変わってゆく。
ネットで親戚の安否がいくつかわかり始める。今のところ、生きているという情報と、不明という情報。

午前中、仕事が一段落したところで、追加の注文も無いので買出しに行くことにしました。

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もし本当に原発が危ないとすれば、しばらく部屋から出られなくなるかもしれない。私は食べ物、飲み物の備蓄があまり無いので、スーパーを自転車であちこち廻ります。

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スーパーはどこもごった返していた。

午後遅く職場に戻り、明日からの燃料の話をする。テレビからは原発のニュースがひっきりなしに流れる。私は東北がこのまま破滅しそうな、非常に不安な気持ちになった。

夜、「ワーイ祭り」正式な中止の知らせを受ける。

そして原発のニュースはあまり来なくなった。

河野

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2011年3月14日

3月14日月曜日。地震発生後、仕事がどの程度出来るのかわかりませんが、とにかく会社に行きました。
会社もすでに電気、水道、電話、インターネットなど、インフラは復旧しています。注文も少し入りました。しかし、問題が2つ。一つ目はガソリンがなくなってきました。2つ目は、福島の原発の問題が徐々に悪化しているように感じます。福島にいる仕事仲間に、岩手に来たらどうかと言うと、大丈夫、60km離れてるから、と言っていました。そう、この時点では。

原発の冷却については11日の夕方のラジオで、「海水を入れるという方法もある。ただその場合は、その原子力発電所はもう使えなくなる」と言っていましたが、実際に海水注入が始まったのは12日の20時20分頃でした。判断と準備とで結構時間がかかった印象です。そもそも、12日15時過ぎにに建屋が水素爆発を起こしたことが発表されたのも、17時過ぎと結構時間がかかった印象で、その後も全体に後手後手の感じがあり、正直ラジオ、テレビの情報を得るたびに不安です。

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せっかく電気が復旧したのに昨日はいろいろあって買い物をしなかったので、近所のスーパー、ナックスに行って見ました。一部商品はこのように品切れ。でも、あるものはありましたので、レトルトカレーなどを少々購入しました。

ガソリンが少なくなっていて、しかもどうやら近所のスタンドに補給された様子が無いので、明日からは自転車で通勤することにしました。

テレビもうちではあんまり見る気がしませんね。なぜでしょうか。あとで不足しそうなので灯油もあまり使いたくない。

河野

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2011年3月13日、2

高田一中のすぐ下まで津波は来ていました。

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向こうに見える坂道の向こうに橋があって、その橋を渡ると私の祖父の家があった気仙町に着くのです。しかし、津波の可能性を考えると先までは行けませんでした。行かなくてもわかった。もう何も無い。川向こうに多数住んでいた親族は、恐らく川向こうの避難所にいると思うのですが、辿り着くことはできませんでした。

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途中、遺体が搬送されてきたり、また連絡の取れない肉親を探している何人かの被災者の方々と会いました。看護師をしていたお嬢さんを探しに来ていた方、喫茶店を営んでいたご主人を探しに来ていた方・・・。やはり市街地で働いていた方が多数行方不明でした。皆さんまだ津波の恐怖はあるはずですが、「だめだろうなあ・・・」といいながら、何か一つでも手がかりが無いかと探していました。
この時点では、岩手県内の死者は百数十名との発表だったと思いますが、現場を見ると、この瓦礫と土砂の下に数千名は亡くなっているんじゃないか、と思った。それくらい津波があまりにも街を全て飲み込んでしまっていた。車で逃げても、走って逃げても、今回ばかりは逃げ切れないような気がした。私がこの街にいたら逃げられただろうか?

途中、津波警報が鳴り、放送局の車がすっ飛んで逃げていきました。いや、逃げるためなのか、あるいは高台から津波を撮るためなのかわかりませんが、人を轢きそうな勢いで車を飛ばしていた。


盛岡方面への帰り道、私は道に迷ってしまって、340号からかなり反れて山の中を走りました。途中、山手に住む農家さんたちが、海のほうから津波警報が聞こえたからといって、山の上に逃げてきていました。かなり海から離れていましたが、それでも逃げていたのです。
道に迷った私を340号まで案内してくれた方が、当日の様子を話してくれました。津波を知らせる無線は、最後の最後まで「早く避難してください、避難してください!!」と叫んで、そのまま途絶えたそうです。最後にひときわ大きな声で叫んでいて、悲痛な叫びにびっくりしたと、その方は話していました。

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夕方、気がつくと途中から信号が点いていました。懐かしい自動販売機の明かりも見えます。私はつい暖かい缶コーヒーを買いましたが、さっきまで電気が来ていなかったため、まだ冷たかった。

夜、東京の知人から電話が入る。無事でよかったが、なんと東京でもスーパーからどんどんものが消えていると言う。

この日は疲れて早く寝た。

河野

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2011年3月13日、1

3月13日、朝起きるととりあえず、テレビを見ました。不思議なことに昨夜は気付かなかった。あれだけ見たかったのに。映像を見て厳しい現実に唖然としました。

いろいろ考え迷いましたが、陸前高田に向かいました。
陸前高田は、子供の頃よく遊びに行った私の亡き祖父の家があって、親戚も多数住んでいます。岩手県で比較的珍しい河野、という姓がこの地域ではたくさんいます。
実は仕事で注文をもらいに、10日に行ったばかりです(ちなみに10日にも陸前高田で地震にあいました、ただそれほど大きくはありませんでしたが)。商品が入荷したら16日に届ける予定でした。まさかこんな形で向かうことになるとは思わなかった。

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この日はまだ、手動で汲み上げたガソリンを販売しているスタンドがいくつかありました。

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「川の駅」です。ここで知り合いを探しに来て休憩していた男性に聞くと、高田一中までは行けるという。

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川の駅から数百メートルのところまで、津波の跡が見えました。こんなところまで来ているなんて。

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340号は先ほどの地点を少し過ぎた辺りで瓦礫に埋まるので、迂回路を行くことになります。迂回路は狭く長く、途中すれ違い出来ない場所が何箇所もあり、そのため長い列が出来てしまいます。

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そんな道を、地元消防団の方々が案内していました。何しろ長い道なので、何箇所も案内が必要で、皆さん疲れている中でも走り回っていました。私は消防団の方々に非常に助けられました。

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高田一中に近付くと、人がたくさん歩いていました。むしろいつもの高田より人が多く見えます。
ここで、私は10日に会ったばかりの知人に遭遇することが出来ました。びっくりしましたが、無事で本当によかった、知人は元気そうで、家も大丈夫だったといっていました。ただ、車の燃料がすでにほとんどなく、何も出来ないと言っていました。

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避難所です。ぱっと見結構活気があるのですが、一人当たりの面積は狭く、足も伸ばせない方も多数おられました。また、昨日からおにぎり1個しか食べていないと言っていました。マンガなどが準備され、少しでも被災者の気持ちが安らぐようにと心遣いがなされていましたが、トイレや寒さ対策などいろいろ大変そうでした。
ここは市街地から逃げてきた方が多数いて、聞いてみると車で逃げた場合は、早い人は助かったが、後ろの方は道がつかえて津波に飲まれたそうです。消防団の方は本当は徒歩で逃げるよう指導していると言っていました。
幸い、私はここでも知人に会うことが出来ました。しかし、その方はまだ息子さんと連絡がつかないと言っていました。それでも消防団の作業を続けていました。

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避難所は出来る限りわかりやすく探しやすくと工夫されていました。他の避難所の案内や、人探しの掲示板、安否情報など。この日は天気もよく日曜日だったこともあるのか多数の方が来ていました。

河野

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2011年3月12日

さて、昨夜は雪が降り12日は寒い朝でした。

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アパートでは管理人さんが犬の散歩をしていました。とにかく寒くて早く目が覚めてしまうし、実際、散歩くらいしか出来そうなことがありません。私も散歩をすることにしました。

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北上川には何の変化も見えません。むしろいつもより綺麗に見えました。

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町は静かです。倒壊は見られません。
近所の商店街で、今まで開いてるのを見たことが無い店が営業していて、ラジオ用のボタン電池を買うことができました。これでまたラジオが聞けます、ラジオは必須です。

時間と共に、沿岸部のひどい状況が明らかになってきて、陸前高田が気になります。また大船渡、宮古、気仙沼にも知人がおり、映像が見たくなりましたが、携帯も不通になり、ワンセグも無いのでどうしようもない。ノートPC用のワンセグが欲しくなりました。

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近所のコンビニに行って見ましたが、休業と書いた紙を持った男性が二人入り口におり、踵を返しました。ふと見ると橋の一部が損壊しています。

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運よく近所の小さなガソリンスタンドがやっていたので、20リットル限定でしたがさほど並ばずに給油できました。その後、昨夜ラジオを聴いていて被害が甚大であることが明らかになってきたので、昨日の買出しの分では足りないかと思い、再度スーパーに行ってきました。しかしこの行列。早々に諦めて、アパートに戻りました。

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信号が動いていないって危ないですね、眺めている分にはちょっとした無政府状態で、面白いといえば面白いのですが。とにかく走りにくいので、あちこち混み合ってしまいます。

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やはりワンセグが欲しく、盛岡の家電量販店に向かう途中、コンビニ(ヤマザキだったかな)が開いていました。かなり売切れてはいましたが、お菓子など買えたので、車の無い近所の人にももしかしたら必要かもと思って多めに購入。

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この信号は珍しくついていました。ほかは私の見る限り全て消えていましたが。恐らく重要なポイントのみ電気を供給していたのだと思います。

盛岡に限らずですが、歩いている人、自転車、また犬の散歩、子供を連れて散歩をする家族の姿、など人の姿が街中に多く見られました。岩手県にもこんなに人がいたのかと。むしろどの町も、いつもより活気があるくらいに感じます。たまにはこういうのもいいのじゃないかと不謹慎ながらふと思ってしまいました。

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電気屋さんは乾電池や懐中電灯、ストーブなどを購入する行列。私が欲しかったのはノートPC用のワンセグでしたが(車載用電源を持っているので、車の中でノートPCなど使えるため)、聞くとスプリンクラーが作動し、ほとんどの商品はダメになってしまって、私は入手できませんでした。ほかの店も回りましたが、みなほぼ電池と懐中電灯しか販売していませんでした。ちなみにここで思いがけず知人に会いました。乾電池を買いに来たというのですが売り切れで、私はたまたまエネループを持っていたので渡しました。エネループと車載用電源は非常に役に立ちます。

暗くなってきて、いつもに比べずいぶん寂しい紫波の町を眺めました。近所の行列が出来ていたエネオスは、発電機があるのか明かりがついています。きっとまだ給油を求める車が並んでいるのでしょう。

またこの日は、福島の原発の事故が非常に大きな話題になっていました。どうやら外壁が爆発したらしい?夜になり、ようやく海水を注入したとニュースが流れました。昨日のラジオで言ってたアレです。遅い、と思った。ぽつぽつと電気の復旧のニュースが流れ、夜19時頃、紫波町の私の地域も電気が復旧しました。これで水も使えます(私のアパートは井戸水をポンプでくみ上げる方式)。

風呂に入ろうとしましたが、調理用のガスは使えるのですがなぜか風呂場はダメでした。仕方ないので風呂は諦めました。食べ物は覚えていませんが、カップ麺か、パンでした。ま、それしか無いのですが。

ラジオを聴いていると、沿岸部に行ったという人がいるようでしたので、明日は私も陸前高田に行くことにしました。余震はかなり落ち着いてきました。何時頃からかわかりませんが、この日途中から、携帯(ソフトバンクとウィルコム)は全くだめです。今朝までは少しは使えたのに、不思議です。

実は電気が復旧したのに、何故か気付かずにこの日はテレビをつけて見ませんでした。それだけ私も混乱していたのか、疲れていたのですね。

河野

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2011年3月11日、それはこんな風に始まった

3月11日、私は仕事で岩手県の花巻市東和町にいました。お客様のパイプハウスの前に車を停めると、隣にいた父の携帯にショートメールのようなものが届きました。「えー?宮城県沖で地震発生?なんじゃこりゃ」。読み上げた父は、メールなど受け取ったことも無いので非常に怪訝な表情をしていました。直後、車の中で大きな揺れが来ました。宮城県沖の地震でこれ?「これはダメだ」発生して数秒で思わず口をついて出た。それほど大きく揺れが来ました。車が歪みそうだったので外に出た。しかしいつまでたっても揺れが止まりません。そのうちパイプハウスの中にいたお客様も出てきて、立ち話が始まりましたが、それでも揺れが止まらない。ようやく収まる頃には、隣のパイプハウスの人も出てきました。「こんな地震今まで無かった」。全員が口を揃える。「宮城沖で地震でこれじゃ、沿岸はもうだめだろう」。陸前高田市に私の父の家(元々は祖父の家です)があり、私も子供の頃何度も遊びに行ったのです。親戚も多数住んでいます。父はこの家を最近リフォームしたばかりでした。冗談交じりではありますが、この時点で家はダメなような気がしました。
写真は、地震に驚いて地中から出てきたオケラくん。
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ただならぬ雰囲気に包まれ、すぐに解散し、それぞれ家路につきました。
私達は車の中でラジオを聞いていました、津波の情報が入ります。「6mの津波が来る可能性があります」確かラジオは初め、このように言っていたと思います。しかし、しばらくして最初の報告は「津波が観測されました、陸前高田で20cm(50cmだったかも)」。「なんだよ、へんだな」「地震が大きくても津波も大きいとは限らないからな」こんな話をしながら帰りました。このあと、陸前高田の津波の報道は一時途切れます。
途中、信号が消えていて、電柱がところどころ傾いていた。建物はほとんどそのまま。しかし信号が消えているのは大きな違和感がありました。通りかかった小学校では下校していました。実家に里帰りしている家内から電話があり、ようやくつながった、とのこと。この時点では、まだ携帯も多少使えていました。
やがて、ラジオからは宮古市と大船渡市の壊滅的な被害の状況が報道され始めました(この時点ではまだ陸前高田の報道はありませんでした)。
紫波に着き、車を降りると停電していてテレビも見られず、会社ではあまり情報がありません。仕事にならないし、しばらく復旧しそうも無いので、とりあえず乾電池など買い物でもしておいたほうがよかろうと、近所のスーパーに向かいます。

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しかし、この有様。シャッターはすでに下ろされていました。

近くのホームセンターは一部商品を販売していて、行列ができていました。

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店の奥から商品を持ってきて、店頭で要望に応えていました。

仕方なく戻り、会社の近くのパン屋さんでパンをいくつか買いました。会社のシャッターを手動で下ろすのが初めてだったので少々苦労しました。
ラジオと、懐中電灯の準備だけして、アパートに帰りました。アパートの中は多少散乱していましたが、損壊はありません。しかし水道が電気で井戸水をくみ上げるタイプのもので、そのため水が出ませんでした(近隣は水は大丈夫だったはず)。とりあえず暗いし(懐中電灯はありますが、先のことを考えると無駄に使えないし、単一乾電池の備えがなかった)片付けるのも面倒なので、パンを食べ、ラジオを聞きながらさっさと布団に入りました。残念ながら私の携帯は古く、ワンセグが見られないので、映像としての情報は入ってきません。沿岸部が壊滅的であること、まだ余震が続くことはわかりましたが、それ以上のことはわかりませんでした。
しかし、余震が大きく、しかも次々来るのでどうにも寝られません。ラジオからはすぐに警報が聞こえてきて、アパートも古いので、どうにもこのまま死ぬような気がして、しょうがないのでかなりの量の荷物をまとめ車に積みました。アパートの下の階で薄暗い明かりが見えたので、ノックしてみたらSさん(おばあさん)が出てきて、パンが要らないか聞きましたが食料の備えはあるという。管理人さんも出てきて、みんなで少し話をしました。人と話して少し落ち着いた。
ノースアップのメンバーは、内陸部在住だ。こちらは多分、大丈夫。
服は着たまま(寒いのとすぐ外に出られるよう)、またラジオはイヤホンを耳に入れたまま寝ました。携帯でgmailをチェックすると安否を気遣う友人からメールが入っていて、返信しました。この夜は非常に不安でした。
福島の方では原発が事故を起こしているようで、冷却水を大量に必要にしているとのこと。ラジオで解説の大学の教授??だったかな?(追記、もしかすると水野解説員だったかもしれない、このときはそこまで気にしてなかったのでわからない)が、最悪の場合は海水を入れて冷やすという方法がある、と言っていました。しかしどうやら、海水を入れるともうその原発は使えなくなるらしく、電力会社?が渋っているような雰囲気があります。米軍が何か提案をしたとも言っている。
これは、やばいんじゃないだろうか。
日本全体がかなりやばいんじゃないの?

12日明け方、大きな余震があり、ラジオに耳を傾けると、今度は関東のほうで地震警報が出ている。まだ早朝でしたが危ないと思い思わず埼玉に里帰りしている家内の実家に電話をかけました。義父が出て、少し話をしました。思ったより平気そうでしたが、こちらのほうが気が気でありません。
この頃までまだ、携帯(ソフトバンク)も少し使えていました。ウィルコムはどうだったかな?
寒い中、うとうと・・・。目が覚める。繰り返し。

河野

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午前10時の映画祭「スティング」

さて盛岡中劇の午前10時の映画祭。今回の上映は午前中だけだからかもしれませんが、劇場けっこう埋まってました。
本日の作品は「スティング」。
ポール・ニューマン(私はふだん映画を見ないので、実は今日初めて!見たのですよ)扮するゴンドーフがとてもいいです、飄々とした感じというのか、あの頃の役者達の持つ「生きること=演技」みたいな日常的な演技と言うのか、そんな感じがバリバリです。
ストーリーはやや複雑ですが基本的にはスカっとする爽快な映画です。ラストはアメリカンニューシネマ風かと思いきや・・・。このエンディングについてはいろいろ意見あるんでしょうけど、この映画はこれでいい、という感じがします。ひょっとして「ショーシャンクの空に」などに影響を与えているんじゃないでしょうかね。

お客さんが多くてちょっと嬉しかった。帰りのエレベーターを待っている時間が・・・。

それから、夕方は花巻に行ってきました。新花巻駅が出来たときのエピソードを映画またはドラマにしたい、という方々の熱い想いを2時間聞いてきました。実行委員長の高橋さんはとても行動力のある方ですっかり感心してしまいました。どうなるか楽しみです。

テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

プロフィール

NorthUP

Author:NorthUP
岩手県在住メンバーで映画製作を行っているグループ、North UP riverside apartmentです。名前の由来は岩手を縦断する北上川から。もちろん北上川沿い在住だけでなく、広くメンバーを募集しています(現在のメンバーは盛岡、矢巾、紫波、花巻など各地在住)。とにかくやる気がある人歓迎します!
http://northup.web.fc2.com/

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