2011年3月11日、それはこんな風に始まった
3月11日、私は仕事で岩手県の花巻市東和町にいました。お客様のパイプハウスの前に車を停めると、隣にいた父の携帯にショートメールのようなものが届きました。「えー?宮城県沖で地震発生?なんじゃこりゃ」。読み上げた父は、メールなど受け取ったことも無いので非常に怪訝な表情をしていました。直後、車の中で大きな揺れが来ました。宮城県沖の地震でこれ?「これはダメだ」発生して数秒で思わず口をついて出た。それほど大きく揺れが来ました。車が歪みそうだったので外に出た。しかしいつまでたっても揺れが止まりません。そのうちパイプハウスの中にいたお客様も出てきて、立ち話が始まりましたが、それでも揺れが止まらない。ようやく収まる頃には、隣のパイプハウスの人も出てきました。「こんな地震今まで無かった」。全員が口を揃える。「宮城沖で地震でこれじゃ、沿岸はもうだめだろう」。陸前高田市に私の父の家(元々は祖父の家です)があり、私も子供の頃何度も遊びに行ったのです。親戚も多数住んでいます。父はこの家を最近リフォームしたばかりでした。冗談交じりではありますが、この時点で家はダメなような気がしました。
写真は、地震に驚いて地中から出てきたオケラくん。

ただならぬ雰囲気に包まれ、すぐに解散し、それぞれ家路につきました。
私達は車の中でラジオを聞いていました、津波の情報が入ります。「6mの津波が来る可能性があります」確かラジオは初め、このように言っていたと思います。しかし、しばらくして最初の報告は「津波が観測されました、陸前高田で20cm(50cmだったかも)」。「なんだよ、へんだな」「地震が大きくても津波も大きいとは限らないからな」こんな話をしながら帰りました。このあと、陸前高田の津波の報道は一時途切れます。
途中、信号が消えていて、電柱がところどころ傾いていた。建物はほとんどそのまま。しかし信号が消えているのは大きな違和感がありました。通りかかった小学校では下校していました。実家に里帰りしている家内から電話があり、ようやくつながった、とのこと。この時点では、まだ携帯も多少使えていました。
やがて、ラジオからは宮古市と大船渡市の壊滅的な被害の状況が報道され始めました(この時点ではまだ陸前高田の報道はありませんでした)。
紫波に着き、車を降りると停電していてテレビも見られず、会社ではあまり情報がありません。仕事にならないし、しばらく復旧しそうも無いので、とりあえず乾電池など買い物でもしておいたほうがよかろうと、近所のスーパーに向かいます。

しかし、この有様。シャッターはすでに下ろされていました。
近くのホームセンターは一部商品を販売していて、行列ができていました。

店の奥から商品を持ってきて、店頭で要望に応えていました。
仕方なく戻り、会社の近くのパン屋さんでパンをいくつか買いました。会社のシャッターを手動で下ろすのが初めてだったので少々苦労しました。
ラジオと、懐中電灯の準備だけして、アパートに帰りました。アパートの中は多少散乱していましたが、損壊はありません。しかし水道が電気で井戸水をくみ上げるタイプのもので、そのため水が出ませんでした(近隣は水は大丈夫だったはず)。とりあえず暗いし(懐中電灯はありますが、先のことを考えると無駄に使えないし、単一乾電池の備えがなかった)片付けるのも面倒なので、パンを食べ、ラジオを聞きながらさっさと布団に入りました。残念ながら私の携帯は古く、ワンセグが見られないので、映像としての情報は入ってきません。沿岸部が壊滅的であること、まだ余震が続くことはわかりましたが、それ以上のことはわかりませんでした。
しかし、余震が大きく、しかも次々来るのでどうにも寝られません。ラジオからはすぐに警報が聞こえてきて、アパートも古いので、どうにもこのまま死ぬような気がして、しょうがないのでかなりの量の荷物をまとめ車に積みました。アパートの下の階で薄暗い明かりが見えたので、ノックしてみたらSさん(おばあさん)が出てきて、パンが要らないか聞きましたが食料の備えはあるという。管理人さんも出てきて、みんなで少し話をしました。人と話して少し落ち着いた。
ノースアップのメンバーは、内陸部在住だ。こちらは多分、大丈夫。
服は着たまま(寒いのとすぐ外に出られるよう)、またラジオはイヤホンを耳に入れたまま寝ました。携帯でgmailをチェックすると安否を気遣う友人からメールが入っていて、返信しました。この夜は非常に不安でした。
福島の方では原発が事故を起こしているようで、冷却水を大量に必要にしているとのこと。ラジオで解説の大学の教授??だったかな?(追記、もしかすると水野解説員だったかもしれない、このときはそこまで気にしてなかったのでわからない)が、最悪の場合は海水を入れて冷やすという方法がある、と言っていました。しかしどうやら、海水を入れるともうその原発は使えなくなるらしく、電力会社?が渋っているような雰囲気があります。米軍が何か提案をしたとも言っている。
これは、やばいんじゃないだろうか。
日本全体がかなりやばいんじゃないの?
12日明け方、大きな余震があり、ラジオに耳を傾けると、今度は関東のほうで地震警報が出ている。まだ早朝でしたが危ないと思い思わず埼玉に里帰りしている家内の実家に電話をかけました。義父が出て、少し話をしました。思ったより平気そうでしたが、こちらのほうが気が気でありません。
この頃までまだ、携帯(ソフトバンク)も少し使えていました。ウィルコムはどうだったかな?
寒い中、うとうと・・・。目が覚める。繰り返し。
河野
写真は、地震に驚いて地中から出てきたオケラくん。

ただならぬ雰囲気に包まれ、すぐに解散し、それぞれ家路につきました。
私達は車の中でラジオを聞いていました、津波の情報が入ります。「6mの津波が来る可能性があります」確かラジオは初め、このように言っていたと思います。しかし、しばらくして最初の報告は「津波が観測されました、陸前高田で20cm(50cmだったかも)」。「なんだよ、へんだな」「地震が大きくても津波も大きいとは限らないからな」こんな話をしながら帰りました。このあと、陸前高田の津波の報道は一時途切れます。
途中、信号が消えていて、電柱がところどころ傾いていた。建物はほとんどそのまま。しかし信号が消えているのは大きな違和感がありました。通りかかった小学校では下校していました。実家に里帰りしている家内から電話があり、ようやくつながった、とのこと。この時点では、まだ携帯も多少使えていました。
やがて、ラジオからは宮古市と大船渡市の壊滅的な被害の状況が報道され始めました(この時点ではまだ陸前高田の報道はありませんでした)。
紫波に着き、車を降りると停電していてテレビも見られず、会社ではあまり情報がありません。仕事にならないし、しばらく復旧しそうも無いので、とりあえず乾電池など買い物でもしておいたほうがよかろうと、近所のスーパーに向かいます。

しかし、この有様。シャッターはすでに下ろされていました。
近くのホームセンターは一部商品を販売していて、行列ができていました。

店の奥から商品を持ってきて、店頭で要望に応えていました。
仕方なく戻り、会社の近くのパン屋さんでパンをいくつか買いました。会社のシャッターを手動で下ろすのが初めてだったので少々苦労しました。
ラジオと、懐中電灯の準備だけして、アパートに帰りました。アパートの中は多少散乱していましたが、損壊はありません。しかし水道が電気で井戸水をくみ上げるタイプのもので、そのため水が出ませんでした(近隣は水は大丈夫だったはず)。とりあえず暗いし(懐中電灯はありますが、先のことを考えると無駄に使えないし、単一乾電池の備えがなかった)片付けるのも面倒なので、パンを食べ、ラジオを聞きながらさっさと布団に入りました。残念ながら私の携帯は古く、ワンセグが見られないので、映像としての情報は入ってきません。沿岸部が壊滅的であること、まだ余震が続くことはわかりましたが、それ以上のことはわかりませんでした。
しかし、余震が大きく、しかも次々来るのでどうにも寝られません。ラジオからはすぐに警報が聞こえてきて、アパートも古いので、どうにもこのまま死ぬような気がして、しょうがないのでかなりの量の荷物をまとめ車に積みました。アパートの下の階で薄暗い明かりが見えたので、ノックしてみたらSさん(おばあさん)が出てきて、パンが要らないか聞きましたが食料の備えはあるという。管理人さんも出てきて、みんなで少し話をしました。人と話して少し落ち着いた。
ノースアップのメンバーは、内陸部在住だ。こちらは多分、大丈夫。
服は着たまま(寒いのとすぐ外に出られるよう)、またラジオはイヤホンを耳に入れたまま寝ました。携帯でgmailをチェックすると安否を気遣う友人からメールが入っていて、返信しました。この夜は非常に不安でした。
福島の方では原発が事故を起こしているようで、冷却水を大量に必要にしているとのこと。ラジオで解説の大学の教授??だったかな?(追記、もしかすると水野解説員だったかもしれない、このときはそこまで気にしてなかったのでわからない)が、最悪の場合は海水を入れて冷やすという方法がある、と言っていました。しかしどうやら、海水を入れるともうその原発は使えなくなるらしく、電力会社?が渋っているような雰囲気があります。米軍が何か提案をしたとも言っている。
これは、やばいんじゃないだろうか。
日本全体がかなりやばいんじゃないの?
12日明け方、大きな余震があり、ラジオに耳を傾けると、今度は関東のほうで地震警報が出ている。まだ早朝でしたが危ないと思い思わず埼玉に里帰りしている家内の実家に電話をかけました。義父が出て、少し話をしました。思ったより平気そうでしたが、こちらのほうが気が気でありません。
この頃までまだ、携帯(ソフトバンク)も少し使えていました。ウィルコムはどうだったかな?
寒い中、うとうと・・・。目が覚める。繰り返し。
河野
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